「父」に対する述語は「言った」であり、「太郎」に対する述語は「来る」である。
- 「AはBが~」において、AとBとの間になんらかの関係があるもの
私は頭が痛い。私は歯が痛い。私はお腹が痛い。
私はお腹がすいた。私はのどがかわいた。 BがAの持ち物 花子は着ているものがはでだ。
花子は飼っているネコが死んだ。 BがAの生産物 花子はかいた絵が売れた。
花子は声がきれいだ。
花子は字がきれいだ。 BがAの側面 富士山は高さが 3776m だ。 その他 山田さんは奥さんが病気だ。(親族関係)
山田さんは部下が事故に遭った。
- 述語「~」がガ格の対象[B]を取るもの
- 上手・下手、得意・不得意の表現
- Aが主題化変形されたもの
- 所有の表現
花子(に)は自動車がある。
- 経験の表現
後者は象の鼻についてウンヌンするもの で全く違うものなのに、西洋の言語で考えると、その違いがよく分からないのだろう。 「私は頭が痛い、私は歯が痛い、私はお腹が痛い」の類は「象は鼻が長い」の類とは異なる。確かに、「頭、歯、お腹」は「私」の体の部分であるが、上の文型とは次のように異なっている。 「象は鼻が長い」では「長い」は属性形容詞で、象の属性ではなく、(象の)鼻の属性を意味している。これに対して、「私は頭が痛い」では「痛い」は感情形容詞(もっと正確には感覚形容詞)で「私」の感じる感覚を意味している。「頭」はなにかと言うと、これは感覚を感じる部位(これを箇所と言うことにしよう)である。つまり、「痛い」という感覚形容詞は「箇所」を補語として要求することばだ、と考えられる。 次に「私はお腹がすいた、私はのどがかわいた」の類はどうか。「お腹、のど」が「私」の体の部分であるという点では上と同じであるが、「私は……すいた」「私は……かわいた」と、Bを省略して言うことはできない。これは「お腹がすく」「のどがかわく」の結びつきが強いからである。
|||Bが省略できる場合もある。BがAの代表的な部分の場合である。 花子は顔がきれいだ。 → 花子は きれいだ。 「花子は顔がきれいだ」は「花子は きれいだ」とも言える。「花子はきれいだ」と言えば、普通は「顔がきれいだ」の意味である。このように代表的な部分[この場合は「顔」]は省略できる。 以上をまとめると次のようになる。 象は鼻が長い。 「長い」は属性形容詞。(象の)鼻の属性を表す。 私は頭が痛い。 「痛い」は感覚形容詞。「私」は感覚を感じる主体、「頭」は感覚を感じる箇所を表す。 私はお腹がすいた。 「私は……すいた」とは言えない。
「お腹」と「すく」の結びつきが強い。 花子は顔がきれいだ。 「花子は きれいだ」と言える。
代表的な部分は省略可能。 これまでの問題点は次の通り。
- 属性形容詞と感覚形容詞の区別はこの「~は~が~」構文にとって有効な区分なのか。 「結びつきが強い」ことはどう証明されるのか。 「省略可能な代表的な部分」とは「顔」の他に何があるか。
象は体が大きい。 → 象は 大きい。 この例では「体」も省略可能。 1-2「持ち物」について 「花子は着ているものがはでだ」という文で「着ているもの」は花子の体の部分ではない。「持ち物」である。この場合、実質的な所有権とは関係なく(つまり、借り物であっても)文法用語としての「持ち物」である。 1-3「生産物」について 「花子はかいた絵が売れた」という文で「かいた絵」というのは花子の制作したものという意味である。「生産物」である。このような「生産物」は「持ち物」になりうる。 「花子は声がきれいだ」という文で「声」は花子の部分ではない。声は声帯、呼気などによって作り出されるものである。これも「生産物」の一種である。 「花子は字がきれいだ」という文で「字」というのは花子が書いた文字のことである。これも「生産物」と考えられる。「声」や「字」は「持ち物」とは言えない。この点で「生産物」というカテゴリーを設ける必要性があるのである。 1-4「側面」について 「富士山は高さが 3776mだ」という文で「高さ」というのは富士山の部分でも、持ち物でも、生産物でもない。このようなものを「側面」と言う。「大きさ、重さ、面積、体積、温度」などは側面である。 1-5その他 「山田さんは奥さんが病気だ」という文で「奥さん」とは「山田さんの奥さん」のことである。この場合、夫婦の関係、広い意味では親族関係である。(持ち物ではない!!) 「山田さんは部下が事故に遭った」。親族関係以外でも、このような文がある。 「山田さんの奥さん」「山田さんの部下」と言った場合、その「奥さん、部下」は相対名詞の一種である。相対名詞とは、基準が定まらないと指示対象が定まらない名詞のことである。その基準とはこの場合「山田さん」である。 一般に「AのB」という言い方でBが相対名詞の場合、その基準はAで示される。そして、この「の」は基準を表す「の」 と言われる。 この項の問題点 ここではBが相対名詞の場合だけを取り上げたが、AとBとの関係はそれだけではないだろう。この他にどんな関係があるかが大きな問題点である。 2述語「~」がガ格の対象[B]を取るもの 次に、述語「~」がガ格の対象[B]を取り、結果として「~は~が~」という形になるものをまとめる。 2-1欲求の対象 「私は新しいカメラがほしい」という文で「(新しい)カメラ」は「ほしい」の対象である。「私は水が飲みたい」という文で「水」は「飲みたい」の対象である。「ほしい」「~たい」(動詞のタイ形「飲みたい、読みたい、見たい」など)は欲求を表している。つまり、欲求の対象のガ格を取る述語とは形容詞「ほしい」および動詞のタイ形である。 なお、欲求の対象をヲ格で表すこともある。 私は新しいカメラをほしい。 私は水を飲みたい。 英文法の知識が日本語の話し手の中に浸透したせいか、目的語[=対象]は「を」で表すものだ、という考えの者が現れたからと思われる。また、実際の文では「~を~たい」という言い方の方が「~が~たい」という言い方より圧倒的に多い。 2-2すき・きらいの対象 「私はねこがすきだ」「花子は犬がきらいだ」という文で「ねこ」「犬」はすき・きらいの対象である。すき・きらいの対象のガ格を取る述語とは形容動詞「すきだ、きらいだ」である。 なお、「~を すきだ」「~を きらいだ」と、すき・きらいの対象をヲ格で表す言い方も、上に述べた理由から、最近よく見られる(聞かれる)ようになった。 2-3可能の対象 「花子はピアノがひける」という文で「ピアノ」は「ひける」の対象である。「花子は英語が話せる」という文で「英語」は「話せる」の対象である。「ひける」「話せる」は可能を表している。つまり、可能の対象のガ格を取る述語とは動詞の可能形(「ひける、話せる、見られる」など)である。 なお、上に述べた理由から、可能の対象もヲ格で表される例が見られる(聞かれる)ようになった。 花子はピアノをひける。 花子は英語を話せる。 2-4その他 「私は犬がこわい」という文で「犬」は形容詞「こわい」の対象である。このようにガ格の対象を取る形容詞がある。ガ格の対象を取る形容詞には「こわい」以外にどんなものがあるだろうか。 「こわい」は感情形容詞で人称制限がある。三人称を主語とするときは動詞「こわがる」を用いる。その場合、対象はヲ格で表される。 太郎は犬をこわがる。 この節の問題点
- ガ格の対象を取るとされてきた形容詞、形容動詞、動詞のタイ形、動詞の可能形もヲ格で言い表されることが多くなった。このガ格とヲ格のせめぎ合いをどう考えたらよいか。 (再掲)ガ格の対象を取る形容詞には「こわい」以外にどんなものがあるか。 3上手・下手、得意・不得意の表現 この表現で用いられる述語は「上手だ、下手だ、得意だ、不得意だ」という形容動詞である。「花子は 上手だ」と言われると、「何が?」と問い返したくなる。「花子は歌が上手だ」のように「歌が」を補わなければならない。そういう意味で「歌」はある種の補語である。「下手だ、得意だ、不得意だ」についても同じことが言える。 しかし、「歌」など補うことばを対象と言えるかどうか。対象とは考えられない。「花子は歌を上手だ」などとは決して言わない。つまり、これらの形容動詞は対象を取る述語とは考えられない。それで、前項(ガ格の対象を取る述語)とは別に1項目設ける必要があるのである。 4Aが主題化変形されたもの 主題化変形とは補語の一つを主題として取り出すことである。具体的にはその補語に「は」を付けて文頭に持って行く。例えば「私がその仕事をします」という文で「その仕事」を主題として取り出すとすると、「その仕事は私がします」となる。「今日雨が降っている」という文で「今日」を主題として取り出すと、「今日は雨が降っている」となる。この文では元々「今日」が文頭にある。 (詳しくはp.12~13) そうして、見かけ上は「~は~が~」となる。 5所有の表現 所有の表現は「[所有者]に [所有物]が ある」という構文を取る。これを所有文と言う。 私にお金がある。 所有者を主題化すると、 私にはお金がある。 となる。この「に」は時に省略されて 私はお金がある。 となる。それで、見かけ上は「~は~が~」という文になる。 ◎所有文と存在文との違い 「ある」を述語とする文には事物の存在を表す存在文がある。存在文では存在場所は「に」で表される。 公園にブランコがある。 存在場所を主題化すると 公園にはブランコがある。 となる。存在文ではこの「に」は略されないので、「~は~が~」の文とはならない。この点で存在文は所有文と異なるのである。 公園はブランコがある。 と言えないこともないが、こうなると、これはもはや存在文ではなくなる。「公園」は存在場所を表しているとは言えないからである。 6経験の表現 私は北海道に行ったことがある。 この文を「~は~が~」構文の文と思う人はいないだろう。しかし、頭の固い学生はそう思うかもしれない。 この文は複合述語を説明するときに使う例文である。「~たことがある」という形で経験を表す一種の語尾と見なすのである。
日语小知识:日语里“ 国字”这个词有三个意思一是日本国的文字, 包括汉字、假名等用来记录日语的所有的文字符号;二是日本人创造的假名, 以区别于由中国传去的汉字;三是日本人模仿汉字的结构自造的汉字。但日本人通常所说的“ 国字” , 是指第三种意思。这时的“ 国字”又叫“ 和字” 、“ 俊字” 、“ 和俗字” 、“ 和制汉字”等。在这里要讨论的问题就是第三种意思的“ 国字”。
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